第四回 等々力不動尊


東京の世田谷区にある等々力不動は、 東急東横線・自由が丘から東急大井町線に乗り換え「等々力」で下車して行くことになる。 駅からは歩いて650メートル程のところにある。。今回は、車で行くことになった。環八通りと目黒通りを交差する交差点に 「等々力不動」と書かれた大きな看板がすぐ目に入るが、その交差点から目黒方面を目指して目黒通りを100メートル程 上ると右側にさらに細長い「等々力不動尊」の看板が目に入った 。等々力不動尊看板
手前に数台車が駐車できるスペースがあるが、そこが 等々力不動の入り口でもある。等々力不動は、現在は真言宗の名刹・満願寺の別院となっている。また都内でも唯一の 渓谷と言われている5000坪の敷地内にあり、1000本はあるとされる桜、銀杏、楓などの草木で覆われ、野鳥がさえずり、 とても東京に居るとは思えない錯覚に陥ってしまう。渓谷の中はとても涼しく、まさに都会のオアシスと言える面影がある。







等々力不動尊本堂
さて、江戸時代に満願寺から移築したと言われる古い山門をくぐるとすぐ目の前に本堂が視界に飛び込む。右手を見ると 盆栽と見間違えるような不思議な形をした霊松・六大の松がある。











六大の松 本堂前で一礼し、賽銭を上げ、手を合わせた後、左横にある寺務所 でご本尊について尋ねたところ実はこの本堂は拝殿であり、 その奥の奥の院にお不動様が奉安されていることがわかった。 本堂の中でお参りをさせていただこうと内に入れて頂いたが、天井が低く、決して大きくはないが、長い年月を経たのだろう、 歴史を感じさせてくれる雰囲気で、何か気が引き締まる思いがした。堂内にてゆっくり腰を下ろし、再び正面の仏様にお祈りした後、 ゆっくり辺りを見回したが、その奥に小さなお堂らしきものが見え、ここにお不動様が安置されているのだろうとわかった。 しかし残念だったが、秘仏ゆえ御尊容を拝見することはできなかった。





本堂中

このお不動様は、修験道の開祖である役の行者の御作であるとされる。 平安時代の末、真言宗中興の祖と言われる興教大師覚鑁上人(かくばんしょうにん)が、夢の中でお不動様に次のような お告げを受けたとされる。「武蔵野国、調布の陵に結縁の地がある。長くその地に留まり衆生を済度せん。」と。 そして上人は、お不動様のお告げに従い武蔵野国に向かい、夢の中に現れたと同じ渓谷のこの地にて錫杖(しゃくじょう)で岩石を突き、 背負っていたお不動様に祈ったと言われる。すると突いたところから清らかな滝が溢れ、水しぶきの中に金色に輝く 36童子が現れ、その真ん中に背負っていたお不動様を安置したのが、このお不動様の由来とされる。以後1000年間この滝は、 いかなる干ばつといえども決して途絶えることがなく、多くの修行者や参拝者が絶えず、そこから等々力不動と名付けられた と言われている。参拝を済ませ、本堂左脇の階段を下りると森の中に 弁天堂弁天池が見えた。

弁天池・不動明王

さらに奥に進むと、 川に出くわし、弘法大師の幼少のお姿であるとされる稚児大師をお祀りした 稚児大師堂があった。弁天池の上を見ると 滝が流れ、岩場にお不動様が存置され、滝に向かって手を合わせている人もいた。









弁天堂 さらに行くと、そこは等々力渓谷と続き、 渓谷の中を川に沿ってしばらくゆっくり進んだ。その中はほとんど太陽の強い日差しが入らず、うっそうと薄暗いが、 森林浴をするには最適な地であると感じた。デートスポットなのであろう、渓谷の中では複数のカップルに出くわした。 あまり進むと暗くなり帰れなくなくなると思い、1時間ほど周囲を散策した後、帰路についた。(編集:コンガラ童子)


等々力渓谷














◆流轟山・明王院・満願寺別院・等々力不動尊◆

住所:東京都世田谷区等々力1-22-47
電話:03-3701-5405
アクセス:@東急大井町線、等々力下車徒歩10分
A環八通り等々力不動前交差点100m



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