東京都・中央区東日本橋にある薬研堀不動院は、
「東日本橋駅」下車徒歩2分のところにある。
東日本橋駅へは新橋駅より地下鉄都営浅草線(快速)で9分である。中央区は、
文字通り東京の中心的な町であり、八重洲や兜町
などのビジネス街、歩行者天国とかファッショナブルで
お洒落な町として世界的に有名な銀座、
また下町情緒の残している人形町など多彩な顔を持っている街
である。東日本橋の隣である馬喰町や
横山町は、
戦後から小間物問屋、繊維問屋など多くの問屋街
として発展してきた町であり、今でも東京の商業地の中枢として賑わいを見せている。
東日本橋界隈も「両国橋広小路」(広小路とは延焼防止のための火除け地)と呼ばれ、
1657年明暦の大火の惨事の後その教訓から隅田川に両国橋が架けられ、
それ以後橋の袂に芝居小屋や見世物小屋などが立ち並び、また青物市などが行われ、江戸有数の盛り場として
賑わったとされる。
さて、地下鉄の東日本橋駅から階段を上ると地上は多くの商業用ビルで犇めき合っているが、すぐ右手に
薬研掘不動院の看板がすぐ目に入った。
看板をたどりさらに少し奥に進むと右角に大きな
ガソリンスタンドが目に入るが、そのスタンドに沿って右に曲がると、すぐ右上に目指す、
商業用ビルの隙間に窮屈そうに構えた薬研堀不動院が視界に飛び込んだ。付近はひっそりと静かで
であり、少数の参拝者が境内の急な階段を上っている以外にスーツを着て忙しく
歩いているビジネスマンらしき数人の人間にしか出くわすことはなかった。
不動院の前面は
「南無不動明王」などと書かれた幟や数多くの提灯で飾られ、左奥には遍路大師
(弘法大師)の像が立っていた。
ご尊像に一礼し、
向かって右手の本堂の急な階段を上りきると、正面奥にはご本尊である小さなお不動様が
安置されていることがわかったが、今回はそのご尊容を拝見することができた。
当不動院は、真言宗・智山派に属し、
神奈川県川崎市にある
大本山川崎大師・平間寺の東京別院である。
本山は、京都の東山・七条の智積院である。
当不動院のご本尊である不動明王のご尊像は、崇徳天皇の代、保延3年(西暦1137年)に、
興教大師覚鑁上人
が、43歳の禊厄年を無事済まされた御礼として一刀三礼敬刻され作られたとされ、
紀州(現在の和歌山県)の根来寺に安置されたものだとされる。
その後、天平13年(西暦1585年)に根来寺は、
豊臣秀吉の兵火にさらされることになるが、根来寺の大印僧都は、
その尊像を守るため葛篭に納め、
それを背負って東国に下ったが、隅田川のほとりである当地に有縁の地として堂宇を建立したことが、
当不動院のはじまりとされる。
「江戸名所図絵」などの文献によると当不動院は、
目黒、目白と共に江戸三大不動であったことが
記されている。この付近では年の暮れになると江戸の昔から江戸の風物詩となっていた「歳の市」
(出庫市)で賑わったとされ、現在でも師走の27日から
29日
の三日間にわたり境内にて「歳の市」
が行われ、その期間は縁起物や松飾り、注連縄などの正月用品または台所用品などを売る店が多く立ち並び、
また付近は納めの縁日として一年間無事つつがなく過ごせたことを感謝し、来たる年の無事を願うべく多く
の参拝者で賑わい、活気を帯びると言われている。
その後お不動様に手を合わせ、境内の寺務所にて納経を
済ませた後、安全を確かめながら急な階段をゆっくりと下りた。
そして馬喰町へと衣料品類を売っている小さな店
が立ち並ぶ問屋街の中をぶらぶら歩いてみたが、どこの店も「業者以外の者に売ることはできません」
との看板がやけに目に付いたが、江戸の情緒を十分堪能できて楽しい一日であった。(編集:コンガラ童子)
◆薬研堀不動尊◆ 住所:東京都中央区東日本橋2-6-8 電話:03-3866-3706 アクセス:@都営浅草線「東日本橋」駅より徒歩2分 A都営新宿線「馬喰横山」駅より徒歩3分 Bバス:(秋26)東日本橋駅下車徒歩2分 |